中部経済新聞2010年6月掲載
名張毒ぶどう酒事件 ―なかなか開かぬ再審の扉―

 最高裁判所第三小法廷は,平成22年4月5日,「名張毒ぶどう酒事件」第7次再審請求事件について,名古屋高等裁判所刑事第2部の決定を取り消し,事件を名古屋高等裁判所に差し戻すとの決定をしました。

 「名張毒ぶどう酒事件」については,平成17年,名古屋高裁刑事第1部が再審開始を決定しましたが,平成18年,検察官の異議申し立てを受けた名古屋高裁刑事第2部が再審開始決定を取り消していました。今回の最高裁判所の決定は,後者を取り消すというものですから,いったんは取り消された再審開始決定がよみがえったことになります。その意味では,最高裁判所の決定は,再審開始への大きな前進です。閉ざされかけた再審の扉の隙間から,一条の光が差し込んだとでも言うべきでしょうか。

 しかし,再審の扉が開け放たれるまでには至りませんでした。

 最高裁判所は,みずから再審開始の決定を下すべきでしたが,破棄差戻しの決定を下すにとどまったのです。

 「名張毒ぶどう酒事件」は,昭和36年,三重県名張市の村落で発生した事件です。住民らの懇親会で振る舞われたぶどう酒に農薬が混入され,これを飲んだ住民らが死傷しました。

 この事件の犯人とされたのが奥西勝さんです。奥西さんは,事件の翌日から連日厳しい取り調べを受け,自白に追い込まれてしまいました。

 奥西さんは,起訴直前に自白を撤回し,裁判で一貫して無実を訴え続けることになります。

 第一審の津地方裁判所は,奥西さんを無罪としました。しかし,控訴審の名古屋高等裁判所は,無罪判決を破棄し,奥西さんに対してみずから死刑判決を言い渡しました。この死刑判決は,昭和47年,最高裁判所の上告棄却によって確定してしまいます。

 奥西さんは,その後,再審,すなわち,誤った裁判のやり直しを求め続けてきました。現在は第7次再審請求,7回目の再審請求です。事件当時35歳だった奥西さんは84歳になってしまいました。

 再審が開始されるためには,「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した」ことが認められなければなりません。しかし,裁判所はなかなかこれを認めず,再審を開始しないのです。再審が重い扉に例えられるゆえんです。

 第5次再審請求からは,日弁連の支援を受けた弁護団が再審請求をしています。弁護団は,再審の重い扉に果敢に挑み,さまざまな新証拠を提出してきました。

 今回,第7次再審請求では,弁護団は,既に市場から姿を消していた事件当時のぶどう酒瓶を正確に復元し,これを使用して実験を行うことで,奥西さん以外の第三者があらかじめ栓を開け,農薬を混入した可能性を示しました。また,犯行に使用された農薬は,奥西さんがぶどう酒に混入したと自白した農薬とは別の種類の農薬であることを科学的に明らかにする毒物鑑定も行いました。弁護団は,これらの成果を新証拠として提出したのです。

 そして,名古屋高裁刑事第1部は,これらの新証拠を高く評価して無罪を言い渡すべき明らかな証拠であると認め,再審開始を決定しました。

 しかし,はじめにお話ししたとおり,検察官はこの決定に異議を申し立て,これを受けた名古屋高裁刑事第2部は,科学的鑑定を十分に理解しないまま,新証拠よりも奥西さんの自白を重視し,再審開始決定を取り消してしまいました。

 今回,最高裁判所は,再審開始決定を取り消した名古屋高裁刑事第2部の決定は,科学的知見に基づく検討をしたとはいえないと明確に指摘し,推論過程に誤りがある疑いがあるとして,この決定を取り消しました。しかし,最高裁判所は,名古屋高裁に審理のやり直しを命じたにとどまり,みずから再審開始を決定することはありませんでした。

 刑事裁判のルールに,「疑わしきは被告人の利益に」というものがあります。証拠に基づいて,常識に照らして,有罪であることに少しでも疑問がある場合には,被告人を有罪にすることはできないというルールです。最高裁判所は,「白鳥決定」と呼ばれる決定において,このルールは,再審でも適用されると明言しています。

 そうであるならば,最高裁判所は,先に申し上げたように考えた以上,「疑わしきは被告人の利益に」のルールにしたがって,直ちに再審開始を決定すべきでした。それなのに,最高裁判所がみずから再審開始を決定することなく,審理のやり直しを命じるにとどまったことは残念でなりません。

 このように,裁判所が重い扉で守ろうとしているものは何なのでしょうか。それは,一人の人間を犠牲にしてまで守るべきものなのでしょうか。

 今回の最高裁判所の決定を受けて,名古屋高裁でふたたび審理が行われることになりますが,これまで申し上げてきたように,再審が開始されるべきことは明らかです。事件から49年,奥西さんは既に老齢です。裁判所が守るべきものは,奥西さんという一人の人間の人生であるはずです。差戻審では,速やかに再審開始が決定されなくてはならない,私たちは,そう確信しています。