中部経済新聞2010年3月掲載
【聞之助ダイアリー】
「プライドとの向き合い方」

 DV(ドメスティックバイオレンス)事件が非常に増えている。正確には、「増えた」のではなく、「水面下に存在していた事件が表面化してきた」と言ったほうが正確かもしれない。
 一言で、DV事件といっても、様々な背景があり、原因も一つ一つ異なる。
 単なる偶然かとは思うが、もう十年くらい前、まだDVという言葉も今ほど普及していなかった頃、ほぼ同時期に扱った離婚事件には、共通する点がいくつかあった。
 まず、一つ目の共通点は、夫が高学歴で、社会的ステータスの高いといわれる職業であったこと。夫は、自分の職業にかなり高いプライドを持っていた。とはいえ、夫は、(上を見たらきりがないのであるが、)その同業社会内において若干のコンプレックスを持っているように見受けられた。
 二つ目は、妻が、外で働いてこそいないものの、その能力は高く、知見も広く、切れ者に思えたことである。
 三つ目は、夫の、社会に見せる温和な態度からは想像もつかない、妻への凄まじい暴力である。妻の顔が腫れて変色するほどに殴り、蹴り、食器を投げつけ、家具を壊した。  夫には、高いプライドがあり、親もそんな息子を手放しで自慢していた。しかし、妻は、そうではなく、夫を客観的に評価していた。妻は妻なりに夫に感謝していたし、決して夫をないがしろにしたわけではない。しかし、夫は、妻のその客観的な、ある意味健全な認識が気に入らず、自分のプライドを満足させることができなかったようだ。夫は、妻の何気ない一言や態度を勘違いして悪意に捉え、逆上し、卑劣な暴力に走っていた。
 以上は、私の勝手な推測にすぎない。夫婦の間にしかわからない事情もあったであろう。ただ、「プライド」との向き合い方について考えさせられた。
 そういえば、昔、知人の女性が、才能のある男性と付き合い、一緒にいるとすごく勉強になるし、話を聞いていて楽しいと言っていた。ところが、一年くらい後に会ったら、もう別れた、と言う。理由を聞くと、確かに才能はあるけれど、いつもいつもおだてていないと機嫌が悪くなる、最初はそれでもよかったけれど、もういい加減おだてるのにも疲れた、それに私のことを全然評価してくれないのも嫌だった、と言う。
 人間にはプライドが必要だ。質の高い仕事を成し遂げられるのもプライドがあってこそ。しかし、そのプライドとうまく向き合うことは意外に難しそうだ。(N・K)