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黄柳野高校喫煙室問題




追い出された生徒はどこに行く? 昨年黄柳野高校で喫煙指導室という名の喫煙室を設置していたことが大きく報じられた。テレビでは、責任者が謝罪し、「今後は厳しく指導していく」とのコメントを出していた。

黄柳野高校は、いわゆる不登校の生徒を受け入れる学校として設立されたことで知られている。設立当初は、むしろ評価する方向で報じられていたと記憶する。

生徒が不登校になる理由は様々であろうが、中には学校の規則になじめず退学を余儀なくされた生徒もいるだろう。喫煙等が理由で退学した生徒でも、勉強したいという意欲を持った生徒もいる。そうした生徒の受け皿として設立された学校であれば、生徒の喫煙率が高いのもうなづける。報道によれば、学校が喫煙を禁止したところ、生徒が隠れて喫煙し、ボヤ騒ぎまで起きたという。喫煙室を作ったのも、学校が悩んだあげくの究極の選択だったのではないかと思う。

気になるのは、そうした学校の悩みについては報道ではほとんど触れられず、「生徒の喫煙を認めるのはおかしい、生徒を厳しく処分すべきだ」という一本調子の報道が多いことである。厳しい処分をせよ、ということは、最終的には生徒を退学させよ、というに等しい。しかし、もともと一般の高校に通えなかった生徒である。それを受け入れるために設立された学校が、さらに生徒を退学させたら、生徒たちはどこで学べば良いのだろうか。

未成年者が喫煙することを容認するつもりはない。しかし、喫煙習慣があったとしても、勉強したいという意欲のある生徒に対しては、社会がそれに応えてやる必要があるのではないかと思う。過去に非行歴があっても、その後立ち直り立派に活躍している人は多い。喫煙を止めさせるためにどのような対処が良いのか、一時の非行歴があったとしても、その後いかに立ち直らせるか、それこそが皆で考えるべき問題である。「そんな生徒は厳しく処分せよ、言うことを聞かなければ退学処分にせよ。」というだけでは問題は全く解決しない。

最近刑罰の厳罰化の声が強いが、最近のマスコミ・市民感情の中に、こうした「異分子の排除」という感覚が蔓延しているように思えてならない。人間はゴミではない。非行を犯したとはいえ、人間を地下に埋める訳にはいかないのである。