裁判傍聴、学生の関心の高さに驚き

 弁護士の仕事というのは実に多様である。
 社会のあらゆるシーンで起こる紛争に携わる事はもとより,紛争処理とは全く関係のない教育場面に携わることも多い。顧問先での講演,中学・高校での課外授業,大学講師等,最近では弁護士会においても,法教育特別委員会という独立した委員会が発足している程である。

 私も例外なくある高等看護学校に法学講義に行かせて頂いている。
 講義といっても何の指定もなく,教材から内容に至るまで全てお任せのため,好き勝手に話をしているのが現状ではあるが,先日,講義の一環として,学生達に名古屋地裁の法廷傍聴をしてもらった。
 その感想文を読んで驚いた。

 授業態度や発言からは想像できない程に,裁判所の空気というものを敏感にそして真摯に捉えていた。裁判員制度についても導入に対する意見や不安が率直に書かれていた。

 傍聴前に裁判所職員の方から,裁判員制度についての説明があったため,自分が判断する立場になったら,という当事者性を持って傍聴したせいかもしれないが,自分の将来,すなわち看護師という職業と裁判官という職業を対比させて,仕事という観点から裁判を傍聴出来ている学生もいたことに,正直,驚いた。

 個人的には,人の死に客観的に接する機会を持つ看護師さん達には,是非積極的に裁判員制度に参加してもらいたいと思っている。講義の中でも,それとなく,そういう話題に触れてきたつもりだ。

 ドラマ「ナースのお仕事」のいずみちゃん(観月ありさ)が患者さんが亡くなって泣いていた時,なぜ先輩(松下由樹)に怒られたのか,ドラマ「ビギナー」の主人公である司法修習生楓(ミムラ)が,刑事裁判修習中,貧困と介護疲れで妻を殺害してしまった事件の裁判で,裁判官から涙を見せてはいけない理由を説かれ,それを噛みしめながら裁判傍聴,判決起案をしていたこと,等々。

 こんなたわいもない話の少しでも覚えていてくれたら嬉しい。
 でも待てよ,これは単位認定のための感想文。単に美辞麗句を並び立てただけのものではないだろうか。
 ふとそう思いながら,自分がはじめて法廷傍聴(正確には裁判所見学)をした時のことを回想してみた。
 それは中学3年の修学旅行での出来事。場所は最高裁判所大法廷。

 これはもう感動などというものではなかった。

 裁判所に到着して門前で外観を見上げた時,窓の無さと突き出た壁・梁など(実際そうであったか今となっては定かではないが),その威圧感にまず驚いた。
 一転,中に入ると自然光をふんだんに採り入れる構造になっていると謳うとおり,明るくて荘厳な雰囲気に圧倒されたことを覚えている。

 ただ,外観から感じる閉鎖性と,開放的内装の何とも言えないギャップが印象的であったことも記憶している。
 今思えば,あれは,実は閉鎖的でありながら,荘厳なイメージだけで私達を翻弄している最高裁判所(?)という魔物のギャップの現れだったのではないだろうか,と思う。

 司法という特殊部分社会は,外からたまに覗くと,核心を直感したり,新鮮な感動を味わうことが出来るようだ。
 教育に携わらせて頂きながら,私自身がこの直感と新鮮な感動を共有させてもらっているのかもしれない。
 などと思いながら,甘々の単位認定を終えたのであった。