球団のフェアプレー精神どこへ
     〜ドラフト会議に思う〜


 昨日、ドラフト会議が開催された。本稿執筆段階では、その内容は不明であるが、指名をめぐって毎年、選手たちの悲喜こもごもの反応が見られる。
ところで、ドラフト制度の議論においてよく出てくる言葉に「職業選択の自由」がある。これは表現の自由や選挙権と同様に、憲法で認められている大切な権利である。人が生きていくためには生活の糧を得ることが不可欠であるが、その前提としてどのような手段で生活の糧を得るかを決める自由がなければ、自らの能力を発揮する機会を失うことにもなるし、仕事にも熱が入らず国民経済上も不利益である。江戸時代のように士農工商が確定していたことを考えれば、この権利の大切さは明らかであろう。

 そのような理由から認められている職業選択の自由であるが、ドラフト制度は希望球団に入れない結果が生じるので、この権利を侵害するのでないかという問題提起がなされることがある。例えば、銀行に就職したい学生がいるとしよう。彼は、銀行であればどの銀行でもよい訳ではないであろう(とにかく銀行という学生もいようが)。やはり、行風等を調べた上で、自分が希望する銀行を決めて就職試験を受けるはずである。ところが、ドラフト制度は、プロ野球界に入りたい学生が原則として球団を選ぶことはできないのである。

 憲法で認められた大切な権利を制限できる理由としては、球団間の戦力の均衡による共存共栄を図る必要があり、それがひいてはプロ野球界の発展につながり、観客動員数増加などにより選手に還元されるからであるなどと言われている。FA制度の導入により一定期間経過すれば希望球団に移籍できる可能性が開けたことも、制限できる理由の一つかと思われる。

 それなら、一部に限って認められている自由獲得枠なるものは、いかなる理由により法的に許容されるのであろうか。球団間の戦力の均衡を図ってプロ野球界の共存共栄を目指すのであれば、大リーグで行われているように前年度の下位球団から選手を指名させる完全ウェーバー制が採用されるのが本筋である。現にかつては完全ウェーバー制が採用されていたのである。選手側から見ても、すべてのドラフト対象者が平等に運を天に任せてドラフトでの指名を待つ方法の方がすっきりするであろう。一部有望選手のみが希望球団に入ることのできる制度は、プロ野球志望の選手間の公平を欠き、明らかに不平等である。また、前記FA制度も希望球団への移籍というよりは、如何に自分を高く評価してくれるかが、移籍球団選びのポイントである傾向が見られる(プロである以上、その傾向を否定する気はない)。

 一部の金満球団が財力にモノを言わせて、場合によっては裏金を渡してまで、有望といわれる選手をかき集める姿勢は、どう考えても球界全体の共存共栄を目指しているとは思えない。オーナーが辞任して済む話ではなく、球界の体質を改善する議論があってもよいのではないか。基本中の基本であるフェアプレーの精神は、どこへ行ってしまったのだろう。(NU)