少年法「改正」法案に対する会長声明

 2008年3月、被害者や遺族が少年審判を傍聴することを認めることなどを内容とする少年法「改正」法案が、国会に提出されました。一定の重大な犯罪事件の被害者や遺族が、少年審判の傍聴を申し出たとき、家庭裁判所が裁量により傍聴を認めるとする法案です。

 少年審判は非公開の原則をとっています。重大な犯罪をする少年は、ほとんどの場合、その育ってくる過程に問題があり、適切に育てられていなかったり、心が深く傷つく体験を重ねていることなどが背景、原因に存在しています。その結果、少年はおとなへの不信、自己否定、感情表現ができないなどの問題を抱えています。少年審判の非公開は、そのような少年の抱えている問題を適切に理解、配慮しながら行うためのものです。

 被害者や遺族の方は、審判を傍聴し、なぜ事件が起こるに至ったのか、なぜ自分が事件の被害者にならなければならなかったのか、その一端でも知りたい、あるいは、少年がどのようにして処分を決められるのかを見たいと思われることがあります。しかし、冷静に考えてみますと、今回の法案はむしろ被害者や遺族の悲しみや苦しみを深める大きな危険を含んでいます。被害者や遺族に傍聴の申し出が制度として認められた場合、被害者や遺族は、審判を傍聴すべきか否かの選択を迫られるわけであり、そこに新たな心の負担を強いられる方も多いと思われます。仮に、被害者や遺族の方が審判を傍聴できた場合でも少年審判という少年の処分を決める手続の中で、被害者や遺族の方が本当に知りたい聞きたい事実や心を、すべての少年が語ることを期待することは困難です。

 また、審判時に被害者側の傍聴が許されると、少年がありのままを表現できなくなる事態に陥ることが容易に予測されます。それだけでなく、傍聴した被害者や遺族の方は、その審判段階での整理されていない未熟な少年の言葉を直接聞くことになり、その審判を傍聴したことで、更に悲しみを深め、苦しみを強め、怒りを増幅させてしまうことも、また予想できるところです。

 そのような事態になっては、少年審判は形式的な無意味なものになってしまい、被害者、遺族にとっても不幸な結果に終わることになります。そして、少年は、真に自らを見直し反省する機会を失うのです。少年は、いずれ社会に帰ってきます。少年の納得できないまま、真に反省のできないまま社会に戻ってくれば、それは再び非行や犯罪につながり、少年の立直りの妨げにもなります。

 一方を高めれば、もう一方が沈んでしまうというように、少年の権利と被害者の権利を対立的に考えるのではなく、双方が充実したものになるよう、私たちは議論を重ね、知恵を絞っていく必要があります。少年審判の傍聴だけが事実を知る唯一の方法ではありません。2000年の少年法改正によって、被害者による記録閲覧・謄写、意見聴取、審判結果の通知の制度ができましたが、これらの制度を被害者にわかりやすく説明し、利用しやすい環境を整えることで被害者のニーズに応えることができる場合もあるでしょう。あるいは、審判が終わったあと、家庭裁判所の裁判官や調査官が、被害者に対し、審判の経過や少年の様子などを丁寧に伝えることで、被害者の要望に応えることができる場合もあると思われます。審判に被害者の出席を認めてもよいケースについては、少年審判規則29条によって被害者の在廷を認めることができ、実際にそのような運用が行われた例もあります。

 以上のように、現在提案されている被害者の審判傍聴は、少年審判の機能を損ねてしまうばかりか、被害者や遺族の方の心情に配慮した法制度の創設・運用につながりません。また、これまで少年審判や処遇に携わってきた関係諸機関、弁護士等の意見を聴取し、少年処遇に対する十分な理解と配慮を尽くして法案とすべきであるにもかかわらず、そのような慎重かつ十分な議論も経ていません。したがって、この法案には強く反対します。

 少年審判はどのように行われているのかといった疑問は、被害者の方々だけではなく、社会の多くの人々が持たれているものではないかと思います。この疑問に対しては、少年審判の仕組や実際をわかりやすく説明していく地道な作業が必要であり、当弁護士会でも少年審判に対する理解を深めるための努力を重ねていきます。それと同時に、被害者や遺族の方のために真の支援を行なっていきます。

2008年3月31日

愛知県弁護士会 会長 村上文男







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